福栄寺について

福栄寺についてご説明いたします。

福栄寺の歴史

福栄寺は長島の寺院(光榮寺)の寺族が揖斐川右岸付近の木揚場に移り住み、木揚場跡に福島説教所を建てたのが始まりです。

 

福栄寺の山号は「澤崎山」ですが、この謂れは揖斐川からいかだにして木材を流し、その木材を引き揚げる木揚場の名前が「澤崎」であったことからつけられております。

 

現在の福栄寺の場所である福島に移ったのは昭和8年であり、そのころはまだ福島説教所もそのまま教えの場として残っておりました。
その後長島の正敬寺の本堂を移築して現在の福栄寺の本堂となりました。

 

昭和19年には桑名の町は戦禍に見舞われ、福栄寺も焼夷弾を受けましたが消し止められ難を逃れました。
昭和20年には「福島説教所」から「福栄寺」となりました。
昭和21年に初代住職であった蓮蔵が亡くなりました。
蓮蔵には五男四女がおり、三男法幢が寺を継ぎました。
昭和28年には宗教法人法により「福栄寺」は「宗教法人福栄寺」となりました。
昭和34年には伊勢湾台風で水に浸かったため、基礎の底上げをしております。
昭和41年には書院、昭和43年には鐘楼が建てられました。
昭和60年には隆弘が住職に就任し、現在に至っております。